々易便局,い服ご類木き銃た太郎べ辺勝橋り利八格的津つい易けね毛根さ査駐在所富ふら良の野こ戸長わたなまさるたかはしはちかくてきかんちゅうざいしょそんちょうまめるいすずじゅうろうほんおおじゅんしたほかに「巡長雨によるこう水が起きる「郵便局」ができる六か村1886(明治19)年鈴1888(明治21)年シブサラの本1889(明治22)年鈴木銃太郎がシブサラでの生活を始める1892(明治25)年芽室・大1896(明治29)年農業移民の受け入れが始まる1898(明治31)年西士狩に「西士狩簡1899(明治32)年芽室・下1900(明治33)年「芽室外・渡・高の3人がシブサラに入るな開こんを始める間(約70km)の道路工事が始まる教育所」ができる」ができる間新道が開通する役場(今で言う町役場)」ができる 開たくを始めてから20年くらいでまちとしての形ができ上がったんだね。❷芽室駅前に集められた豆(1920年ごろ)167ねんねんつづがわかんゆうふくびんきょく 移民の数は年して,十勝川の北側役場などがつくられると,飲食店や呉どの店がたちならぶようになり,町の中心地となりました。 その後,芽室駅をげんざいの場所につくることが決まった1907(明治40)年ごろからは,駅を中心にした町づくりが進んでいきました。こうして,今につながる芽室の町ができていったのです。けていきました。そ教育所,郵店なふえ続に簡芽室町の開たくのれきし
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