と❸ 十発4月23日登別室蘭調よだい依田勉三成社移民団と勝初人岡身治じ木銃太郎辺勝きた広浜館ろ陸路しら発5月3日発4月10日発3月15日(明治16年)陸路海路かち勝・芽室の かいたくべる●十勝の開たくは,どのように始まったのでしょうか。大津発5月3日〜4日オベリベリ(下帯広)着5月7日〜20日門別猿留発4月25日函館発4月18日横浜伊豆国大沢村❶依田勉三(左)と晩成社移民団(右)❷晩成社のたどった道156さいしょひとりなべまさるやくべんかちよこはまりくぞうばんせいしゃしずおかすずおびひろけいみんだんしゅっしんめいじゅうろうわたはこだて 十んで本州からわたってきた人たちの中の一が,依田勉三です。 依田勉三は静くにあこがれ,1881(明で北海道を調べにやってきました。 よく年の1882(明治15)年には,後に芽室を開たくする鈴成社をつくり,1883(明治16)年にオベリベリ(帯 横の二つの経かけてオベリベリにたどり着きました。県の出で,北海道の開た14)年に一人や渡に着いた後は海とに集だらと晩2か月と晩地方を開たくするために,最)の開たくに出発しました。を船で出発し,函に分かれ,出発から約
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