まちづくりシンポジウム
  
日時  平成16年3月21日(日)午後6時30分
  
場所  めむろーど2階 セミナーホール
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【講師紹介】


 それではさっそく基調講演に入りますが、ここで講師の宮脇先生のご紹介をさせて頂きたいと思います。先生は昭和31年東京都でお生まれになり、昭和54年日本大学の法学部をご卒業後、参議院の事務局に入局し、株式会社日本総合研究所主任研究員を経て、平成8年から北海道大学の大学院の教授として活躍されています。現在まで内閣参与兼主任研究官、道州制推進会議座長など公職多数を行っておりまして、現在活躍されている先生であります。それではさっそく本日のテーマであります『自主・自立と協働のまちづくり』について講演をお願いしたいと思います。宜しくお願いいたします。

【基調講演】

 テーマ「自主・自立と協働の町づくり」  講師 北海道大学大学院教授 宮脇 淳 氏

 ただいまご紹介に預かりました、北海道大学の宮脇でございます。これから7時半まで約50分でございますけども、芽室町の自主・自立ということにつきまして、少し考えさせて頂きたいと思います。

1.自主・自立の意味
  〜自主・自立のための両輪:「経済的自立」と「社会的自立」〜

 まず、お手元の方に資料を配って頂いております資料の3ページ目をお開き頂けたらと思います。3ページ目の上のほうに自主自立の意味というのが書いてございます。これから、本町におかれまして自主自立に関する基本構想の策定、さらにその構想に基づきます実践を展開されていくわけですけども、その前段といたしまして、自主自立という意味、あるいは自主自立のためには何が必要なのか、ということをまず入り口として整理をさせて頂きたいと思います。
 この自主自立を地域として行っていくためには、2つの大きなポイントがございます。1つは、経済的な自立であります。この経済的な自立が何を意味するのかということは、この後すぐご報告させて頂きまして、もう1つの自立は、社会的な自立であります。この経済的な自立と社会的な自立が、車の両輪となりまして、地域的な自立をもたらすという事になります。

(1)経済的自立
 最初に、経済的な自立についてご紹介させて頂きたいと思います。これは、例えば、ご検討頂いておりますまちづくりの町民検討会議の中でも、やはり農業を中心とした経済的な自立というのを掲げていらっしゃるわけです。なぜ、経済的な自立が必要なのかということです。勿論ここでは、今までのように右肩上がりで、どんどん所得が上がっていくということを意味しているわけではございません。
 そこで、1ページ目をご覧頂きたいと思います。ここ数年間は非常に厳しい状況もあったと思いますけども、戦後60年を見てみますと、本町におかれましても右肩上がりでどんどん所得が上がり、どんどん経済成長してきた、そういう事だと思います。今ここで言う経済的自立とは、所得をどんどん拡大させていきましょうという意味ではなくて、もっとわかりやすく言いますと、地域の中での経済の循環をもっと強くしていきましょうという事を意味しています。
わかりづらい表現ですけども、例えば、地域に所得がたくさんあったとしても、それが他の地域から入ってきて、それからまたすぐ芽室町から他の地域へ出て行ってしまうような状況でありますと、いくら所得が高くても、一向に地域の体力というのが強くならないというのが実態だと思います。
 これはなぜかと言いますと、入ってくるものがまちへ留まらないで、他のところに抜けていってしまうから、例えば、農業でたくさん所得は得ているが、それがまちの中にすぐに投資されない、まちの中で消費されない。そういう中で、他の地域に移っていってしまう、他の地域に流れ出してしまうという事ですと、せっかく特色ある経済をつくっていったとしても、この地域が、どうも活力がないですね、豊かさがないですね、といったことになってしまうと思います。例えば道内におきましても、いろいろな事業を努力して持ってきているまちがたくさんございます。ところがいろいろな事業を持ってきても、そこで実際に働いている方々はまち以外の方である。あるいはまちの方々が働いて所得を得ても、その所得で物を買いに行くのは別の地域である。あるいは住むところについても、いろいろな整備はするのですが、その整備をして投資したお金が地域に残らない。こうなりますと、せっかく努力をしていろいろな政策を持ってきても、どうしても地域の体力が強くならないということです。残念ですけども、北海道全体でそういう現象がずっと続いてきました。この地域におきましてもそういう事を続けていきますと、やはり経済的な基盤がだんだんと弱くなってしまうという危険性があるわけです。経済が成長し続けることがまちづくりをする目的ではありませんが、一定の地域の中での経済体力をつくり上げていくということが必要な事です。その上に立って、他の地域との交流、経済的な交流などをどんどん進めていく。もちろん地域内の経済の循環を強くしていくというのは、将来的には芽室町という行政区画にとらわれる必要はないわけです。帯広全体、北海道全体、日本全体、世界全体であっても構いません。しかし、その根っこというのが、この芽室町にあり続けなければならないのです。そういったものがあり続けるためには、よく言われますように、農業でも農産物を出荷しているだけでは、ダメではないですか、もっと付加価値の高いものを作っていくにはどうしたら良いでしょう。勿論こういったことでも、中国等と競争関係があります。そうしますと、この1ページ目の一番下の(3)Cのところに書いてありますけども、やはり同じような商品をつくっていっただけではダメで、やはりブランド化というのが必要となります。こういったことは、よく言われる点であると思いますが、今日はこの点だけをお話していくわけにはいきませんので、まず1つとして、地域における経済の循環、地域で所得を上げ、地域に投資が行われる。そこの厚みを増やす中で、北海道全体、そして日本、世界へ結びついていく事が、自立をしていく1つの要件としてあるということでございます。
(2)社会的自立
 3ページ目にお戻り頂きまして、先ほどの自主自立の意味で、もう1つ意味がございました。社会的自立という意味であります。正確に言いますと、社会的自主自立ということだと思うのですが、社会的な自主自立というのはいったい何でしょうか?ということです。
 これも4ページ目の(4)に自己責任と社会的責任という2つの言葉がお目に留まるかと思います。

@自己責任
 最近、自己責任というのがよく言われると思います。これからは、合併しても、しなくても、自分達できちんと判断して、その責任をとってください。これも自己責任です。
しかし、少し考えて見ますと、自己責任というのは今までもあったわけです。と言いますのは、例えば、国に依存したまちづくりをします、道に依存したまちづくりをします、役場に依存したまちづくりをしますというように、国や行政に依存してまちづくりをするというのも1つの判断であります。それに基づいて、まちづくりをしてきました。
 その結果、依存をしていた国が地域に対してそれ程お金を出す事は出来ませんと言い出した。そうすると依存してまちづくりをしてきたという1つの判断に対する結果というのも自己責任です。また、今まで国に依存してきたが国はもうお金を出してくれない、それではまちが立ち行かないから、それでは合併して財政繰りをして、少し一定の期間でも楽にしましょうか、これも自己責任だと思います。こういっただけの自己責任でありましたら、よく言われますように、もう何回か合併を繰り返していくことになると思います。

A社会的責任 −応答性−
 今回、本町におかれましては、自主自立ということで、まちづくりを一つやって行きましょうと、ご判断をされた。ただ、その際に自己責任というよりもっと重要な事があります。それは自己責任の後にある社会的責任という問題です。社会的自主自立と裏腹にあるのが、この社会的責任というものです。社会的責任というのは難しい言葉のように聞こえるのですが、それは何か。もう一つだけ難しい言葉を言わなければいけないですね。社会的責任というのは、地域に対する応答性という事です。応答というのは、自ら地域に対して問題を投げかけ、地域から返ってくる答に対して、自らの問題として受け止める。更に、議論を繰り返していくという意味の言葉です。後ほどパネルディスカッションの中でも議論されると思いますが、今まで地域では応答性が失われてきました。例えば地域のこと、公共サービスのこと、こういうことは役場にお願いしておけば良い、困ったときには役場にお願いすれば良い、これはもう行政がやるべき話なのだ、という考え方がもし多かったとすれば、これは応答性がないわけです。ただ一方的に自己主張して、相手がやらないと批判をする。これはどこにも応答という事がありません。今までそういった中でやってきた。ところが、本町におかれまして自主自立、ましては協働ということになりますと、行政、公共サービス、地域という事に対して一番求められることは、この応答性という問題です。住民の皆さんも、地域の公共サービスのことについて問題意識を持ち、地域に問いかけ、自分の問題、自分が主体となって考える。行政の方もそうです。意外と行政も今まで住民に対して応答してきませんでした。公共サービスというのは自分達に任せておけば良いので、住民の皆さんにいろいろ言って欲しくない、そういう行政もたくさんありました。そういう状況では、情報を住民の皆さんにどんどん伝えていくこともあまり必要ないのです。なぜかというと、行政は自分たちが公共サービスをやり、むしろそれは自分達に任せておいてもらえばよいからです。これも応答性がなかったのですね。
 今求められているのは、行政の方から住民の皆さんや地域の企業の皆さんに、もっと問題、情報を投げかけて一緒にやっていきましょうという応答性の問題なのです。そして地域の企業もそうだと思います。企業も地域の一員として、地域に対してどういう役割をしていくのか、そういったことを自ら考え、役割を担っていかないといけない。本町におかれまして、自主自立を考えていくにあたりましては、社会的な責任、応答性という事が地域の中で根付いていくかどうか、ということが最も大きな課題だと思います。今ご覧頂いている4ページ目の(4)の自己責任と社会的責任の上に(3)として「開かれた窓」というのがあります。これが応答性という意味です。地域に開かれるというのは、行政もそうですけども、住民の皆さんもそうですし、地域で活動する企業もそうです。地域に開かれる窓を持って、窓が開かれるネットワークを組んでいく。窓を開くというのは、くどいようですが応答性で、自分が問題点を地域に投げかけ、更にそれが地域から返ってくる、返ってくることに対して、自分の問題としてそれを考えていくという事です。今までのように自己主張をするということがあったとすれば、それは応答性ではないのです。どこかで演説しているのと同じで、演説して終わったなら帰ってしまう。これは応答性、開かれた窓という事ではありません。これが出来るところと、出来ないところでは、おそらく地域のあり方というのが、体力というのが決定的に違ってくると思います。合併をしたところでも、しないところでも、この構図がきちっと出来たところでは、おそらく体力の強いまちづくりが出来ると思います。
2.主体論からネットワーク論へ
 3ページ目にお戻り頂きたいと思います。もう少しこの意味を掘り下げていきたいと思います。今日のテーマで頂いています、協働のまちづくりというのは一体何なのですか?ということです。一番上に行政、企業、住民というふうに書いてあります。これは地域を担う3つのパワーと言われるものです。勿論この他に、住民の中にはNPOなどが広い意味では含まれると考えて頂きたいと思います。(1)のとことに、主体論からネットワーク論へと書いてあります。主体論というのは簡単です。行政は公共サービスを担ってくれるところであると決めることです。企業は収益を追求するところである。住民とは何か?
 いろんな要求をする主体である、というふうに考える場合もあると思います。このように行政だからこうである、企業だからこうである、住民だからこうであると決めてしまう事。下のところに「AはBだ」と書いてあります。大学の教官だとわかりづらい話をする、これもそうですね。AはBだというふうに決める、これが主体論です。今までの考え方は、日本ではこれが圧倒的に強かった。北海道は広いから不利なんだというのもそうです。もし、こういった考えを引きずっていったとすれば、恐らく先ほど申し上げたような、社会性のある強い地域というのを作り出すという事は、中々難しい壁があります。そうではなくて、Aの方にネットワーク論と書いてありますけども、行政、企業、住民ともに同じであると考える事です。違和感があると思います。あえて申し上げますと、今までは行政だから公共的なものを追及してくれると思ってきたのです。そうではなくてネットワーク論では、行政も企業も住民も同じ役割を担うと考えます。もっとわかりやすく言いますと、公共サービスだからといって、行政だけにお願いするのではないという考え方です。行政という所は、芽室町の役場という事ではないのです。皆さんの中でも行政批判という感覚はあると思うのですが、これは町役場だけでなく、道庁ですとか、国の役所に対する批判というのもあると思います。どうしても縦割り型で融通がきかないだとかですね。それから何かを問い合わせても、たらい回しになってしまう。もし本当に役所が公共性を追求している場所であれば、そういうことは起こらないはずですね。ところが現実には起こってくる、たらい回しが起こる、縦割りである、あるいは天下り批判がある、これはなぜか。これをもっと率直に受け止めてみると、行政というのも民間企業や住民と同じように、自らの組織や自らの位置付けというものを追い求めていく。もっとわかりやすく言えば、自己利益ですね、これを追求していく一つの主体だと考える事もできるわけです。天下りはその典型だと思います。行政と住民と企業というのは、どういう相互の関係をつくり上げるのか?その相互に関係をつくり上げるというのは、まさに協働であると思います。行政といえども、公共サービスだけを追及していくところではなくて、住民や企業と一緒になって関係をつくることによって、初めて地域のことを充分担っていけるようになるのだ、と考えるのがネットワーク論です。ですから場合によっては、企業と住民と一定の約束事をして公共サービスを担う事も可能になります。これはちょっとお聞きしただけですけども、例えば今回、芽室町におかれましても、雪が降り、行政だけに除雪をお願いしていると、中々うまくいかない。そうすると住民の皆さんと除雪の機械などを持っている企業との間で一定の約束事をつくって、地域の除雪をやって頂く、というやり方も、実は企業と住民が連携をとって、公共サービスを担うというやり方です。もちろんそこに行政に一定のサポートをして頂くというのは当然ありえるわけです。しかし、行政だけに地域のことを任せていくということではありませんよということです。

@公(おおやけ)=コミュニティー
 何故そういうことを申し上げるかと言いますと、皆さん、「公共」という言葉がございますけども、「公」という言葉をパッと見て何を思い浮かべるでしょうか?これは行政学の授業で最近やることですが、学生に「公」で連想する事は何ですか?と聞くと、だいたい答が返ってくるのは、国の行政組織だとか、地方自治体の行政組織、こういったものを「公」というイメージで捉えます。あるいは、それに類似したものを思い浮かべる場合が多いのです。これを欧米の大学で、「パブリック」という言葉で連想する事は何かと聞くと何が返ってくるかというと、「コミュニティー」という言葉です。「役所」という言葉では返ってこないわけです。「コミュニティー」つまり、「地域」という意味です。ここに日本における戦後の大きな違いがあります。これから求められることは「公」という言葉は「地域」なのだ、という概念です。「公」という言葉が芽室町の役場や道庁や国の行政組織ということではなくて、「公」というのは「地域」であります。ですから、公共性というのは地域の事を考え、地域のことを支えていく自立性を確保していくためには、行政だけでなく、住民の皆さん全体として考えていく、「コミュニティー」を考えていくことです。そしてその行動様式が出来ていくことが、非常に重要になっていくという事だと思います。(2)の「地域の公共性とは何か」ということです。地域という概念で捉えたときには、住民から発して、住民に帰属する事ということです。帰属というのは地域の発展なり、地域の充実というのが、個々人から発していって、個々人にそのメリットが帰着することであるということです。ですからそこに書いてありますように、芽室町民が幸せにならない、芽室町の幸せはないということです。当たり前のことのようですが、これが完全に分離をしてしまうことがあるのです。

A地域経営と組織経営の違い
 ページをめくって頂きますと、参考資料というのが出てきまして、1ページのまん中あたりに、三角形とマルが重なった図があると思います。三角形のところに組織経営と書いてありますが、これは芽室町役場と考えてください。そして地域経営というのは芽室町全体の自主自立ということでありますというように考えてください。今申しましたように、従来の「公」の概念でいきますと、芽室町の組織の経営という事に焦点が当てられる場合が多いわけです。ですから財政危機で苦しい、だから合併するのですか?しないのですか?という議論になりますと、芽室町の財政を立て直すために、コスト削減をしましょう。そして、住民の皆さん、地域の皆さんの方も、苦しいから負担をして下さいと言うことになります。そうすると、それは役場の問題であって、何でそれをすぐに地域の方に押し付けるのですか?という話になってきてしまいます。ということは何が起こっていたか?ということなのです。実は役場の経営という概念でいきますと、役場の経営を立て直す事は意外とできるのです。出来るというのはどういうことか?これはコストをどんどん削減していって、必要な事をもうやりません。財政再建団体というのは、これは役場が実勢をなくしてしまうことなのですが、それのぎりぎりのところまで下げていく。そうしますと、役場というのは、組織の経営という意味では維持することが出来るかもしれないのです。しかし、そうやってしまいますと、地域というのは極めて疲弊します。地域の生活というのは質が悪くなっていってしまう。つまり、徹底的に考えていきますと、役場の経営だけ考えていきますと、やりようがあります。しかしそのことは地域経営というものを徹底的に悪くしていってしまいます。逆に、地域の皆さんがやっぱりこれはもっとやって欲しい、あれももっと欲しい、でも負担はしたくはありません、ということをどんどん推し進めていくことは出来ます。しかし、それは、すぐに役場の経営破綻に行き着きます。結果として役場は残りますが、これは専門的な話になって大変恐縮なのですが、先ほど申し上げました財政再建団体というものになります。ご承知のように、今までの財政再建団体には、九州の赤池町ですとか、青森県や和歌山県もなったことがあるのです。北海道庁もなりそうであるというので、今いろいろと議論されています。今までの財政再建団体は一旦国の管理になって、自治というのが殆どなくなります。殆どなくなりましたけども、赤池町というのは残ります。これからは財政再建団体になった瞬間で、極めて強い姿勢で国から合併が求められるようになる。それは今までの環境とは違うわけです。実は道庁にも、どうせ財政再建団体になっても行政組織は残るのだし、国からの補助金がほとんどだし、あまり変わらないですよとおっしゃる方もあるのですが、これからは違います。国の管理下になったことによって、すぐに自治が極めて縮小されると同時に合併に向けた圧力というのがものすごく強くなると思います。従って、地域経営というものと役場の経営を分離して考えていくこと自身が地域にとっての自立性を失わせていくことになるわけです。役場だから、住民だから、企業だからと分けて考える、あるいは、よく小泉さんが言いますけども、「官から民へ」と言うわけです。これは明らかに「官」と「民」を分けているということですね。これは二分論といいます。今ご紹介したのは「官」だからこうである、「民」だからこうであるという考え方はもう止めましょう。「官」と「民」はもう同じなのだから、一緒になって地域づくりをやりましょうということなのです。これが基本的になってくると、まさに私がここで書いているように、地域と組織を分離させていますけども、この三角形は地域の中に全部入り込んでいくわけです。そういうふうになった自治体というのは非常に強いです。ですから大きなところではなく、基礎自治体だからできるのです。これはこちらにお世話になっているから、基礎自治体だと申し上げるのではなくて、これからやはり強いのはこういうのが出来た基礎自治体だと思います。道庁で議論しても、こういうことは殆ど議論にならないのです。というのは、一緒になって、道のことを考えられる道民と直接面していないからです。国になったらもっと遠いですね。国民というのは遥か彼方になる。いくら協働だと言っても、説得力がないし、後ほどちょっとだけご紹介したいと思いますが、今北海道にとって道州制という議論がされています。これも恐らく、ここにお集まりの皆さんで、北海道庁がどういう道州制の議論をしているのか?あるいは、何で道州制という議論がここに出てきているのか?そういったことについて充分な情報や取組みについての説明というのは、聞かれたというご記憶のある方はいらっしゃらないと思うのです。それはやっぱり基礎自治体としての行動に道がなっていないからで、これからももっと道州制の問題でもやっていかないとならないと思いますけども、ここで整理をしたいことは、まさに地域の問題を「公」として考えて、「官」だ、「民」だ、という区別なく行政と住民と地域にある企業というものが地域の事を考えていく、行動していくことができて、初めて自立というものが出来上がっていくと思います。それによって更に経済的な自立というのも、徐々に確立されていくことになります。やはり芽室町が持っている資源を一番良くわかっているのは地域だと思います。そして残念ですけども、その資源を一番うまく引き出していく方策を今まで選択できなかったわけです。と言いますのはやっぱり地域を経営していくために、いろんな補助金も持ってこなければいけなかった。しかし、そういった補助金というのは、必ずしも芽室町に最適なものばかりではなかったと思います。でも役場というのは、それを自由に変えることは出来なかったわけです。あるいは行政の面だけではなくて、農業ですとか、あるいは工業とか、消費活動の面でもいろんな規制があります。そういうものをもっと地域の判断で、地域の資源を生かせるような、そういった枠組みにしていきましょうというのが地方分権であります。そういったものがもっと進んでいったならば、今度は地域自らが考え出せる体力が必要になります。正直申し上げまして、この体力が持てるか、持てないかが重要なのです。

3.今、自主・自立に問われているもの

(1)白地に何が描けるか
 今までは多かれ少なかれ国や道が一定の方向性を示してくれました。それに対して芽室町としてどうするかを考えてくれば良かったのです。しかしこれからはこういった真っ白なところに自分達の将来、方向性を描いていくことになります。まさにそれが自主自立だ思います。どうやって描くか、の問題なのです。その時に真っ白ではわからないので、何か描いて下さいといった瞬間に自主自立の力が落ちてきます。先ほど申し上げた道州制の議論していてもなかなか北海道庁はこれを描けません。小さい頃やった塗り絵というのを思い出して下さい。塗り絵は出来るのです。一定の枠はあって、そこにどういう色を塗りますか、といいうのはできるのです。しかし、どういう地域を真っ白なところに描くのかというのか、というのが出来ない。まさに今から今から地域の皆さんが一体となって、芽室町、あるいは芽室町が中心となった十勝地域でもよいのです。それをどういう地域にしていくのか、広域行政も含めながら、どういう地域にしていくのか?というのを、まさにここに描き込めるのかどうか、それが足元で問われているし、それが出来るのであれば、どんなに財政が苦しくなったとしても、この地域の自立性を確保していくことが出来ると思います。

(2)財政とは数字に凝縮された地域の運命である
 先ほど、「官」と「民」という区別なくしますと申し上げたのですが、皆さん、「財政とは何だ」というふうにお考えなりますかと聞きますと、これは役場の金繰りの問題ですよね、役場が借金して大変です、交付財が減って大変です、役場のお財布の話でしょ、というのが、今までどこに行ってもそういうような認識だったと思いますし、それで回ってきたのです。役場というのは行政です。行政という枠組みが、民間、住民の皆さんや企業と違わない、ということになりますと、財政というのは何なのか、というのが不明確になってきます。実は財政というのはこういうように定義付けられます。つまり、「財政とは、数字に凝縮される住民の運命である」ということです。住民というのはもう少し言うと地域という事です。これが財政というものを地域というもので捉えたときの考え方です。従って、それは単に役場の予算という事を意味しません。例えば役場の予算が苦しいのであれば、住民の皆さんや企業の皆さんが、少し時間を割いて、今まで行政にお願いしいた公共サービスを自分でやるのですよ、というように考えれば、例の予算書でいうところの歳出という、お金を支出するところの項目にあげることが出来るわけです。時間を割いて、地域のことをやってみましょう、これも重要な財政の一つになります。もちろん一方では同じようなサービスをお願いするのであれば、もう少し負担をして頂かなければいけない。しかし負担というのは金銭的な負担である場合もあるでしょうし、時間的な負担かもしれない。それはいろんな形があります。ただ、その時に根本的に持たなければいけないのは、財政というのは地域の問題であり、地域の将来の事を数字で表したものなのだ、その認識が出来るのか、出来ないのかなのです。ですから財政が苦しくて合併を選択したところがあったとしても、この認識が出来なければ、合併したならば特例債を発行する事によって今まで通りにやる。今まで通りにやれば、恐らく5、6年経ったところで行き詰ります。あるいは、単に合併というのは良くないのだ、地域をダメにするのだ、というところに止まってしまって、合併しないと頑張ったとしても、それでは限界があるのです。そうではなく、財政というのを全体として、地域の問題として議論できる、すなわち4ページ目のところの5.の(1)にありますけども、芽室町の課題と期待というところですが、「財政議論を正面から議論できる自治体」、この時の自治体というのは地域の事です。これがやはり必要な事だと思います。

4.インクリメンタリズム(増分主義)からの脱却
(1)階段型満足度
 その事から派生をしまして、すぐ上のところの3の(1) 「住民満足度」です。これは道内の自治体でもいろんなところでやっていると思います。住民満足度を上げましょうとか、有名な話でいきすと、関東の松戸市というところで「すぐやる課」というのをつくり、住民のニーズに応えていきましょう。これは一つ間違えますと、こういう結果をもたらします。住民はサービスを受ける人、行政はサービスを提供する人。つまり「官」と「民」との区分を持ち続ける事になるわけです。これをやっていったならば、行政、役場は、いくらコスト削減してももう限界です。それではいけないわけで、住民満足度というときの「住民」という言葉が良くないのですね。これは、本当は地域満足度なのです。ですから地域の満足度を上げるというのは、行政の役割だけではなくて、住民の皆さんももちろん便益も受けるけども、その満足度を上げる責任も負うという事です。企業の皆さんもそうです。全体として自分たちが満足できるところをつくって行きましょう。ただ、もう一つあるのです。「満足」という言葉は非常に使い勝手のよい言葉で、どの程度満足させれば、満足なのかというのは非常に難しいですね。従来、満足度と言いますと、行政ではこういう考え方です、あるいは地域でもそうだったと思います。去年よりも今年の生活が良くなっていれば、満足度は上がっていますという考え方ですね。去年よりも今年が良ければ良いというのはどういう事かと言いますと、階段状になっている。本町ではやられたかどうかはわかりませんけども、去年までは自分の家のちょっと手前まで道路の舗装がされている。今年は自分の家の前まで来たから満足度上がりました。こういうのもそうなのです。常に基準が去年、そこに置かれています。という事は、どんなに階段を上り詰めていっても、上限がないのです。全部基準が去年ですから、どんどん上がっていっても満足しきれないのです。ですから最後は、芽室町に空港を持ってきたいなどということはないと思いますけども、そういうふうにどこまで行っても上がり続けてしまう、これは今まで右肩上がりで経済が成長していたときは何となくこれが達成できたのですが、これからは難しいし、これからこういう事をやっていったならば、いろんな事を維持していくだけで大変です。逆にまちをダメにしていってしまう原因になってしまいます。それであれば、こういう満足度というのは止めましょう。後でお時間がある時にご覧頂ければと思いますけども、参考資料の(3)のところで、「インクリメンタリズム」というカタカナが出てきますけども、これは「増分主義」という意味ですがが、今申し上げた階段型の満足度というのも増分主義なのです。
 そうではなくてこれから必要になるもの、まさに経営という概念であれば、今開いているページの上の方に経営概念と書いてありますが、そのAをご覧下さい。これは佐々木先生という方が定義づけられたものですが、「方針目的に対して最小の費用で、最大の効果をもたらす活動のことであり、それは限られた資源の下で最適な政策選択を如何になすかの戦略のこと」ということです。満足度ではなく、最適化と言われるものです。使える資源というのは限られるわけですから、使える資源をどのように一番有効に使って、地域の自立性を高めていくかという事を考えましょう。今まではもっと良くするために、財源でもなんでも外からものを持ってくればよいという考え方ですね。そうではなくて、今使われているもの、あるいは地域にはもっと使われていないものがあるかもしれません。住民の皆さんのパワーとか、そういうものもそうです。これを使っていこうというのがこの最適化という意味です。少なくても階段型の満足度からは脱さなければいけない、そういう段階だと思います。

(2)計画の誤解
 また4ページ目にお戻り頂きまして、3.マニフェストの意味の(3)です。「計画の誤解」です。これから自主自立の構想ですとか、これに基づく計画というのを作っていくことになると思いますけども、是非これから議論頂きたいのは、計画とは何かということなのです。今までも長期計画とかいろいろな計画をお持ちになっていると思います。計画が達成されないと、何で達成されないのかについて議論されてきた。勿論、計画というのは作ったならば、達成するというのは大きな役割です。しかし、これからこういう階段型の満足度ではない時代になってきますと、計画の意味は変わります。勿論、達成する事は重要ですが、もう一つ重要な意味が出てきます。計画通り物事が進んでいないという事を認識するための道具なのです。今までは残念ですが、計画通りに行かなくても、もう少し待てば計画通りにいきますよといった考え方もあったのです。ですから行政は失敗しないという前提に立って行動する場合がありますから、計画が立てられたら、その通りできているはずだという。そうではないのです。計画というのは一つの物差しですから、物差しを持ったというのは、もし、残念ですが、予定通りいかないのであれば、予定通りいっていないということを認識するための道具でもあるという事なのです。まず、それをオープンに開かれた窓で認識しましょうという事です。認識をした上で、さらにもう一つ、上手くいっていないのであれば、それをどうするかというのを予め決める方法というのを持っておきましょうという事です。もしずれていくのであれば、優先度を決めておいて、こちらのことは止めても、この事を推し進めていくのか。残念だけれども、上手くいっていないのであれば、今までのやり方ではダメなので、別の方法を選択するのか。あるいは、止めてしまはなければならないのか。その事を決められるという体力が必要になります。今までは、今出来ていないのであれば、来年まで待てば、もしかしたら新しい財源が来るかもしれないから、もう少し待っておきましょう、というやり方もあったと思います。しかし、自主自立というのは上手くいかなかったということも、自分達で受け止めるという事です。早くそれを修正するという努力が出来るか、出来ないかということは非常に重要な事です。成功するというのは非常に重要な事ですが、一方で失敗をする事から当然学ぶ事も必要になります。行政というのはそこが今までは下手だったのです。「失敗しません」ということで、ある意味貫かなければいけなかったところもありますから。なかなかそこから学ぶという事はできませんでした。そういう欠点というのも新しいネットワークで補い合うという事も必要になってくると思います。

5.縦型ネットワークと横型ネットワーク

(1)縦型ネットワーク
 今、ご覧の4ページ目の5の方に進んで頂きまして、先ほどから紹介している(1)などは除かせて頂きますけども、(2)新たなネットワークという事なのですが、これは、3ページ目の方にお戻り頂きまして、「縦型ネットワーク」と次のぺージの「横型ネットワーク」というのがあります。今までは3ページ目の「縦型ネットワーク」です。これは一番上に国があって、その次に道があって、支庁があって、市町村があって、住民の皆さんが居られるという。この「縦型ネットワーク」というのは勿論これからもあります。これからもあるのですが、「縦型ネットワーク」には大きな欠点があります。欠点というのは何か。それは、問題点がどこにあるかというのが中々見つけ出す事が出来ないということです。ただし、利点もあります。問題が明確であれば、それを解決するためには、「縦型ネットワーク」というのは極めて有効に機能するのです。問題文が明確に書かれていると、それを解決するためには上手く機能します。ところが問題なのは、今の状況で上手く行政が機能しないというのは、問題文が見つけられないといういことなのです。

(2)横型ネットワーク
 この問題点を抽出する事が出来るというのが次のページにある「横型ネットワーク」なのです。「横型ネットワーク」というのは「縦型ネットワーク」とは違って、このマルのところに住民の皆さん、住民の皆さんといっても住んでいるところがいろいろ違うと思います。そういった、住民の皆さん、企業の皆さん、行政の皆さんというのは縦型の上下関係ではなくて、イコールの位置付けの中で、同じ位置付けの中でネットワークを組みます。そうしますと、いろんな視点でそれぞれが物事を見てくれますので、一つの問題点をいろんな視点から抽出する事が出来るわけです。これが非常に強いものをつくります。ですから、住民参加が必要な理由というのはここにあります。どんなに行政をフラット化して、縦型のものを階層を低くして、いろんな行政の窓口で判断できるようにしましょうというようなやり方をしても、この横型のネットワークが組まれていなければ、上手くいかないわけです。その理由というのは、どうしても縦型というのはいろんな視点で物事を見ることは出来ません。これから芽室町にとって非常に重要な事というのは、横型ネットワークを使って、行政の縦型では見抜くことができなかったいろんな問題点を見つけ出すという事です。問題点だけではなく、いろんな資源も見つけ出すという事です。
 横型ネットワークには、もう一つのメリットがあります。ちょっと難しい言葉になりますが、リスク管理が出来るという事になります。行政だけでは限界があることであれば、住民の皆さんが出来ます、企業の皆さんが出来ます。それぞれだけで出来ないのであれば、ネットワークを組んで出来るでしょう、そういう事が選べるようになります。これは恐らく今までのやり方だけでは出来ないと思います。ただ、この「横型ネットワーク」の欠点も認識しておく必要があります。住民参加だけでは、場合によっては、問題点は抽出できるけども、問題が解決できない場合があります。これは、指摘された問題が仕様末節なことから重要なことまでいろんなことがあるということなのです。いろんなものがあるから良い一方で、欠点も出ます。その事を率直に受け止めることです。議論をし、開かれたネットワークでそれを選んでいける、行政任せにしないで選んでいける、問題の軽重を選んでいける、判断できるという、そういう地域になっていく事が必要だと思います。あと一点だけご紹介させて頂きますと、4ページ目の5の(4)です。リスクに挑戦できる行政と書いてありますが、リスクに挑戦できる地域です。ここに「恐れの論理」というのがあります。行政だけに地域を任せていくと、こういうことが起こります。皆さんもご経験ないでしょうか。こういう良い事をやってみたらどうですかと提案をしても、芽室町役場はどうかはわかりませんけども、一般的な行政でいきますと、それは出来ないのだ、というを100も並べてくるというのがあります。何故そうできないのですかと言うと、こういう恐れがあるからです、と言います。こう言われると中々動けなくなります。ところが恐れというものには、1%の恐れから、100%の恐れまでいろんなものがあるわけです。100%恐れがあるものはやってはいけないというのはわかります。しかし、1%、2%、3%の恐れであれば、もしかすれば、それを地域全体で考えれば、それを克服できるかもしれないのです。やはりその事を考えましょうという事です。こういう言葉があります。1%の恐れで住民の99%のニーズを殺すという言葉があります。これは行政をいくら批判しても無理です。これは地域全体としてその事を考えていくことによって、恐れという漠然としたものを克服していけるかどうか、これは活力を一方では生み出してくる事になると思います。
 最後にその下(5の(5))です。「孤立」ではなく「自立」です。よく自立自主と言いますと、「孤立」になってしまう場合があります。これは繰り返す事は必要ないと思いますが、ネットワークを持たない、開かれていない、そういう自立であれば「孤立」であります。芽室町として地域の経済循環をつくったとしても、それが芽室町の地域だけで孤立をしているとすれば、限界があります。まさに今回の構想の中で広域行政や広域の事を考えていきますと言われています。これは地域の中だけではなくて、地域間の連携をどうやってネットワークとしてつくっていくかということです。
6.ブランドの形成

 一つ重要なことは、その時に芽室町がきちっとしたブランドを持っていれば、帯広であろうが、札幌であろうが、芽室町に根っこをもった循環をつくり上げていくことが出来るということなのです。和歌山で、ある農協がとくとく市場というのをやっていて、これは農協系統に出せない農産物を農家の名前入りで広場のところで売っていくという仕組をつくったわけです。これによって年間売上高、それだけで30億です。もうまさに帯広などの都市圏の近くにある近郊型のところであればあるほど、どんどん買いに来るわけです。もちろん形を気にする人は、別なところで買って頂ければ
よいわけで、名前が書いてあることによってブランド化も行われる。ですから、これをやったことによって、最初は10億ぐらいでしたが、今は30億です。こういったものも地域の努力によって生み出すことが可能だと思います。
 地域としての自立性を無くさずに、その選択肢を求めていくことも出来るということです。ですから、今こういったネットワークをきちっとつくれるかどうか、そのことをこれからお取組頂ければと思います。少し伸びてしまいましたが、私からのご紹介はこれで終わらせて頂きたいと思います。ありがとうございました。